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ただがむしゃらに走り続けてきた10年Vol.10~真夜中スペシャルSHOW~

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「考えてみたら、いちばん怖い目にあったのは、ペーターの店だったな。」

「ああ。」

「でも、みんないい人たちばかりだったね。」

「本当に、みんなあったかい人たちばかりだった。」


たくさんのやさしい人たち

会う人会う人

「がんばってね」って言ってくれた。

ボロボロのスニーカー。
今にも底が抜けそうなCDの入った手提げ紙袋。
ダンボールに手書きの看板。

ポケットには帰りの電車賃のみ。

確実に疲労がカラダを支配していく。

一歩一歩が雪山を歩くような重さだ。



「あと300枚ほど。もう少しだ。」



午前2時くらいか。時計なんか見る気にもなれない。

俺たちは、何かにとりつかれたように

新宿歌舞伎町へと向かった。



歌舞伎町。

思えば初めてストリートをやったとき、散々な目にあったものだ。

そのときの光景が脳裏によみがえる。


「本当にホストクラブに行くか?」

「もうこうなったら行くしかないっしょ!」

YOU平が半ば投げやりにそう言った。

「そうだな。行くか。あたって砕けろだな。」


恐る恐る、ホストクラブの店内に潜入する。


「いらっしゃ、、、ん??なにか?」


若手のホストが入り口で怪訝な顔をして見ている。

当たり前だ。

そもそも女性が来る場所だ。
俺たちのようなやからには用のない場所のはずだからだ。

「あのー。」

一通り今の自分たちの置かれている状況と、今までの営業活動の一部始終を
なれた口調で話す俺。

もう何百回と説明してきた台詞だ。

すると、


「マジっすかー!!!めちゃめちゃ大変じゃないっすかー!」
「でもすげーなー。俺も昔バンドやってたんっすよ」
ひとり若いホストが近寄ってくる。
「え?なに?どうしたの?」
一通り説明する受付のホストのお兄さん。

「うわー!!マジで?すげー。なんか気持ちわかりますよ。」


なんだ???

なんかすごくいい人たちだ。

「ちょっとまっててくださいね」

そういうと、若いホストは店内に入っていった。

しばらくすると店内からマイクでなにやら盛り上がる声が。


「さぁ!さぁ!さぁ!今日お越しの皆さんは超ラッキーだぜー!!
なんと今日はスペシャルゲストがきていまーす!!」

ざわつく店内。

「今日はno_NAMEというバンドメンバーの皆さんが~!
今宵、あなたたちだけに特別スペシャル営業にきてくれました~!!!
さぁ、およびいたしましょう!!
No_NAMEのみなさんでーす!!どうぞ~!!!!」

「さぁ、行って行って!」

笑顔で俺たちを店内に案内してくれる受付のお兄さん。

店内に入ると、たくさんのホストのお兄さんたちが
盛大な拍手で盛り上げ、歓迎してくれた。

お客さんの女性の人たちも、なにかわけがわからないが、
とにかく楽しそうだという雰囲気で拍手で迎えてくれた!!


マイクが手渡される。

あとはご自由にと言わんばかりのホストのお兄さん。


なんていい人たちなんだ。

正直俺は、今までホストクラブの人たちを
少し偏見の目で見ていた。

呼び込みのお兄さん、

キャッチのお兄さん、

なんだか、チャラチャラしていて、
適当にすごしているような感じに見ていた自分が
とても恥ずかしくなった。

彼らは想像を絶する過酷な商売をやっているのだ。
計り知れないほどの苦しみや悲しみを乗り越えて生きているんだ。


遠くで見ているだけで、話もしないで、
その人のことなんて何もわかるはずもなく、
実際、こうやっていきなり飛び込み営業を
挑んできた俺たちに、
その苦労が、まるで自分たちのことのように感じてくれて、
こうやって惜しみなく営業をさせてくれたこと。

それも、一緒になって盛り上げてくれて、営業をしてくれたこと。


俺は一生忘れないだろう。


今、こうして書いているのも、
実は、歌舞伎町のホストクラブのほとんどが、
親身になってくれたからだ。

もちろん、お店の方針上、営業をさせてもらえなかった店も
あるが、
「力になってあげたいけど、ほんと申し訳ない」

と誤られたくらいだ。

あそこのお店にいくといいとか、
あそこは、ちょっとやばいから行かないほうがいいかもとか、
行く店行く店親身になってくれた。


みんな頑張って生きているんだと
俺は肌で感じた。


そして、同時に

(本当に俺たちは、こんなことをしていていいのだろうか?)

という思いが、胸の中を駆け巡り

なんともいえない、あの息苦しさというか、胸の中で「ドキュン」と
くる不定期な鼓動というか、ゾワゾワとしたものが
体中を奮わせたのを覚えている。


歌舞伎町も行きつくした俺たちは、

日を改めて「六本木」に向かうことを決意する。

「もう終わらせよう。早くこんなことから開放されよう。」

みんなうつろな目をしていた。

それはミュージシャンではなく、

夜の都会を泳ぎ疲れた魚のような目をしていた。

深夜のコンビニでパンにかじりつく4人には

「帰る」という選択肢はなかった。


電車賃がパンになったからだった。




つづく。
 
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ただがむしゃらに走り続けてきた10年Vol.9~2丁目スター誕生~

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俺たちは夜の新宿2丁目へと足を運んだ。

ラジカセとCDを200枚ほど抱えて。

その足取りは、かつてないほど重く、2丁目に近づくにつれ
口数も少なくなっていった。

「不安だから、ペーターから情報を仕入れよう。」

俺は、2~3度行ったことがあるゲイバーのママ(もちろん男)

「ペーター」に、2丁目の危ないスポットの情報を聞き出す提案をした。


「そうだな。そうしよう。」

かつて一緒に行ったことがあるYOU平も賛成した。

のりちゃんと、あつしは、まだ不安な顔をしていた。


「俺、本当に、苦手なんだよ~。」
あつしが不安そうにそう嘆いた。

「チンピラや、やくざよりも、ホモがこわい。。」

らしいのだ。でっかい体して、初めて弱みをみせるあつしがちょっと
面白かった。


俺たちはペーターの店に入った。

運良く、まだお客さんがいない時間帯だった。

「あーら、いらっしゃーい。なに?今日は4人??なーに?
あら、みんないい男じゃなーい!!」


ペーターは上機嫌だ。

「あ、いや、今日はさぁ。これからCDの営業で、2丁目を回ろうと思ってるんだけど、ペーターにいろいろ教えてもらおうと思ってさぁ。」

「え??なに?呑みにきたんじゃないのー??なーによー。」

「まぁ、そういわずに教えてください^^」

「しょうがないわねー。じゃあ、条件があるわ。」

不気味な笑みを浮かべるペーター。



「な、なんだよ。」

「ちんちんもませなさいよー。」

「えええー!!!!!」

絶叫する俺たち4人。

「いいから、ほら、さわらせなさい。ズボンの上からで勘弁してあげるから。」


しょうがない。

なにも知らずに、もっと恐ろしい目にあうよりは、幾分マシだろう。

覚悟を決めた俺たち4人は、ペーターの前に一列に並んだ。


「いただきまーす。」

そういうと、ペーターはズボンの上から俺たちの一物を

わしづかみし始めた。

「ぎゃ!」

「う、うわー。」

「ちょ、ぇxgtyにゃ!」

「ぐ、ぐ、ぐうー。。。」


悶絶する俺たち4人。

事は終えた。

あつしは、真っ白に燃え尽きた、あの「あしたのジョー」のように
なっていた。



俺たちはひとつの壁を乗り越えたのだ。
「ペーターのキンタマわしづかみ」は、
ある種、
「あんたたち頑張りなさいよ!」的な最強のおまじないにすら思えた。

もうこれで大丈夫だ。
どんな恐怖にも打ち勝てる。

そして、約束通りペーターは俺たちに2丁目の情報を教えてくれた。

「○○ビル7階の、○王はヤバイと思うわ。遊び半分で行かないほうが
いいわよ。あと、このビルだと、3階の右のドアのお店。最近いい噂聞かないわね。」
「うーん、まぁ、でもあたって砕けろよ。大体は大丈夫だと思うわよ。」

「ペーターありがとう!!」
「ありがとうございます!」

「いいのよ。たまには呑みに来なさいよ。あんたたち。」

「うわー。」去り際に無駄に一回余計に触られた俺。


ペーターから情報も聞き出したし、あとはひたすら回るしかないな。



俺たちは片っ端からお店を回った。



「あたし、ひげの彼がいい。」

「あーら、後ろにいるおっきい子。そう、おひげの彼かわいいじゃなーい。」

「おひげの彼がきにいっちゃったから、3枚買うわ。」

「あーら、かわいい、おひげの彼素敵。じゃあ、CD買ってあげる。」



行く店行く店、あつしが大人気だった。


俺たちは10軒ほど回った時点で、かなり麻痺してきて、
むしろ2丁目を楽しんでいた。

本当に、み~んないい人だらけだった。

なにも怖くなんかない。すごく純粋で正直で素敵な人たちなのだ。

お店のスタッフのオカマはもちろん、お客さんのホモやゲイの人たちも
本当にいい人ばかりだった。


もちろん、怖いお店もあるにはあったが。。。

あるお店に入ったら、
そこには、全身オイルでテッカテカの小麦色したマッチョが
カウンターにバーテンとして立っていて(Tバック一枚で)
お客さんは、そのマッチョを酒の肴にしてチビチビと
呑んでいるのだ。会話など一切ない。

俺たちが見せに入ると、ただ黙って客もそのマッチョも
ジロリとにらみつけるだけ。

「あ、間違えましたー。」

俺たちはそういってダッシュで逃げた。


またある店では、
セーラー服を着たオカマに、ずーとあつしは口説かれていたらしいのだ。
「ねぇ、わたしとつきあってよ。」

あとで聞いたのだが、ずーっとそう言われてたらしい。


俺たちは、2丁目でのこの「あつし人気」を利用しない手はないと

途中から、嫌がるあつしを先頭にして、店に入るようにした。


この作業を3日間つづけ、2丁目のお店もすべて回った。

1軒残らず、すべて回った。

約300枚近く、CDを売り上げることが出来た。


2丁目での最後のお店で、

お客さんのキャバクラ嬢の子がこう言ってきた。

「ねぇ、ホストクラブ行ってみたら?もしかしたら、
お客のキャバ嬢や風俗嬢の子たちが買ってくれるかもよ。
あと1週間くらいしかないんでしょ。がんばって。」


そうだな。2丁目ももう回るお店はない。

これは、歌舞伎町に行くしかない。



俺たち4人にはもう悩んでいる時間はなかった。


自然と、眠らない街「新宿」の

あの「歌舞伎町」へと歩き出した。





残り300枚近く。


もう少しだ。




俺たちは完全に麻痺していた。




つづく。

ただがむしゃらに走り続けてきた10年Vol.8~試練~

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俺と彼女で挑んだプレゼン。

熱意が伝わったのだろう。社長さんは快諾してくれた。

まずは「no_NAME」のレコーディングが行われた。

4曲入りのマキシシングルを完成させた俺たちは、
レコ発ワンマンライブを決行する。


2003年12月26日。

渋谷サイクロンで行われた「no_NAME」初のワンマンライブ。

200人を超えるお客さんに来てもらい、成功を収めたかのように
思えたが、当時の俺たちは、「次につなげる」ことを何も出来ていなかった。

ただの「発表会」で終わってしまったのだ。

当然、それ以降のCDの売れ行きも伸びず、

ライブの集客も伸びなかった。

そのCDは流通にのせていなかったため、すべて手売りか、
映像会社のホームページ内での販売に限られていた。

ワンマンライブを終えて、2004年のお正月に、俺たちは
会社でミーティングを行った。

そこで、「1ヶ月で1000枚を完売」という
目標を立て、1月から怒涛の営業活動が始まった。

ブッキングライブをやって、気に入ってもらって、
CDを買ってもらって、では到底追いつかない数字だ。

俺たちは4人で知恵を絞りながらありとあらゆることを
やってはみたものの、なかなか売れない。

そこで、俺がこう言った。

「ラジカセもって呑み屋をまわろう。」

この無謀な提案に、メンバーは文句を言わずついてきてくれた。

まずは、新宿ゴールデン街。

恐る恐る店のドアを開ける。

「いらっしゃーい。」

当たり前だ。
呑み屋だもん。お客さんだとまず間違いなく思うはずである。

「いや、あのー」
「なんだい?すわんなよ。」
「あの、僕たちバンドやっていまして、1ヶ月でCDを1000枚
売らなければいけないんです。もし差し支えなかったら、
ラジカセで聴いてもらって、気にいていただいたらCDを
買ってもらえないでしょうか?」


めちゃくちゃだ。

こんな話があるか。いきなり店にきたと思ったら、
ラジカセで曲をかけさせろ、気に入ったら買え。
と金髪の革ジャンを来た若造が言っているのだ。


俺は、怒鳴られるのはもちろん、殴られることも覚悟して
恐る恐る店主の様子をうかがった。

すると、

「おう!そうかい。大変だねー。いいよ。聴かせてもらうよ。」

そう言ってCDを流させてもらい、買ってもらうことに成功した。
店内にいた数人のお客さんも買ってくれた。



もう俺たちに迷いはなかった。
やるしかないのだ。

3日間かけて、新宿ゴールデン街の呑み屋さんをすべて回り、
200枚ほど売り上げた。

俺たちは一か八か、「新宿2丁目」にも足を運んだ。

そこは全国でも有名な「ゲイ」「オカマ」「ニューハーフ」の街。




俺たちは無事では帰れない覚悟で

その危険な街へと歩き出した。

ただがむしゃらに走り続けてきた10年Vol.7~ブレイン~


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下町にある大衆レストラン。

俺が働くその「大衆レストラン」に

その女性は、「ホールスタッフ」としてアルバイトで入ってきた。

一目惚れだった。


どこか遠くを見ているような悲しい目をした印象の
その女性に俺は話しかけることすら出来なかったが、
休憩時間が重なったある日、奇跡が起きた。

俺はいつものように、飯を食い終わるとただ黙って
テレビ画面を見つめていた。

テレビではサッカーワールドカップのニュースが流れていた。

「韓国が強い」という話題だ。

韓国の試合のダイジェストが流れる。

ただ黙ってテレビを見ている俺とその女性。

韓国の実況と解説者の興奮状態の映像に移った瞬間、

ふたり同時にツボにはまった。




この小さなミラクルで、一気に緊張が解れた俺に
その女性はこう尋ねてきた。

「音楽やってるんですか?」

「うん。」

「わたしもバンドやってるんです。」

「おお!マジかぁ。ボーカル?」

「はい。」

「今度ライブやるときは教えてよ。見に行くからさ」

「あ、私にも教えてください。見に行きますから」

そういって、彼女は俺にメールアドレスを書いて俺に手渡してくれた。

「じゃあ、俺のも」

そういって、俺は携帯の番号とメールアドレスを書いて渡した。



初めて彼女のライブを見に行って、俺は彼女の歌の世界に
吸い込まれるように恋に落ちていった。


その女性こそ、数々のイベントとデザインを手がけ、no_NAMEの影のブレーンになった
「FLOWERMOUNTAIN」だ。



彼女は、「愛」と「ひらめき」と少しの「悪巧み」と、
それをアーティスティック
に表現できる「言葉たち」で溢れていた。


そして、「自分」をよく知っていた。
知りすぎていた。
それゆえにもがき苦しむ姿も脳裏に焼きついている。


彼女と出会ってから、自分というものと向き合うことが多くなった。


俺はそれから、一人で、バンドとは別に作詞作曲し、
弾き語り活動を始めた。

友達の役者さんや、お笑い芸人さんが主催するイベントに
参加させてもらったり、新宿のマローネというライブバーに
頻繁に出演するようになったりと、歌を届ける活動を
バンドと平行してやるようになっていった。



俺には色々な顔があった。

そうだ。

上京当時、俺には何でも出来るという思いで溢れていた。

ここでは触れなかったが、役者としても3回舞台を経験したし、
バンドでは激しいステージングで男くさいロックをやっている。
弾き語りでは、もっとも伝えたいこと「愛」について
思う存分歌っている。


別にいいじゃないか。それでいいじゃないか。

それが「俺」だ。

そう思うことが出来るようになったのも、
「FLOWERMOUNTAIN」に出逢ったからだ。



俺は「FLOWERMOUNTAIN」と手を組み、
数々の素敵な「悪巧み」を計画し実行していった。

「no_NAME」の看板イベント「Rocks」を主催したり、
「FLOWERMOUNTAIN」のバンド「EARTH BOUND」と
「no_NAME」が手を組んだイベント「GOLDEN GOLD」を
成功させたりする中で、この二人なら何でも出来ると
いう自信に満ち溢れ、俺たちはついに動き始めた。

俺が当時、芝居関係のつながりから、大変お世話になっていた
映像会社の社長さんに、俺と彼女でプレゼンしにいったのだ。


「no_NAME」を売り出すために。

いや、「no_NAME」とその周りの素敵な「仲間」たちを売り出すために。







つづく。
 

ただがむしゃらに走り続けてきた10年Vol.6~困惑~


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2002年フランスワールドカップが幕を開けるころ、

俺たちの音楽は舵を失いつつあった。




「しんちゃん。ニルヴァーナって知ってる?」
YOU平が徐に俺に聞いてきた。

「もちろん!高校生の頃、よく聴いてた!かっこいいよね。」

「めちゃめちゃかっこいい。俺、今、完全にはまっちゃってるわ。」


その頃から、YOU平のギターの音づくりが変わり始めた。

マーシャルのギターアンプを限界まで歪ませ、リアのピックアップで
かき鳴らすYOU平のサウンドは、とても心地よいとはいえない
研ぎ澄まされた鋭利な音で、突き刺さるような痛みを伴って
聴く者の心に響いた。


いわゆる爆音だった。

それゆえ、そういう音を好むリスナーにはたまらなく刺激的で、
反対に、受け付けない人には苦痛以外の何物でもなかったと思う。

ステージングも変わり始めた。

すこし不機嫌に見える顔つきで演奏することが多くなった。
しかし、決して人を不快にさせない不思議な魅力をYOU平は兼ね備えていた。

あとでライブの映像を見たりすると、そこには
とんでもなくかっこいい「YOU平」の姿が確立していた。

(自分のスタイルを見つけたんだな。)

あくなき自分への探求心。

19歳からビジュアル系を飛び出した少年は、
ありとあらゆる音楽に触れ、
22歳にして「カート」と出会い、そこに自分をリンクさせ
自分のスタイルを築き上げた。

アーティストとして本当にYOU平を尊敬する。





YOU平の爆音ギターに伴って、アツシのベースも勢いを増していった。

より太く、より大きい音を出すために、4弦ベースに5弦ベース用の
弦を張ることもあった。

そして、彼もまた、自分のスタイルを確立していく。

極限までベースの位置をさげ、とんでもないスラップを
軽々と演奏し、ステージでは所狭しと動き回る。

相当な練習を積まないと絶対にできない荒業だ。


のりちゃんのドラムも激しさを増していく。

キックしかり、スネアしかり。

特にリムショットは、「伝家の宝刀」と呼ばれるほど
切れ味のよい飛んでいくような音を叩き出した。

そして自分には使いこなせないからと、
ハイタムとロータムをドラムセットから
取り外し、スネア、フロア、キックのみの
ドラムスタイルを確立した。

それが、ものすごく似合っていたし、何よりかっこよかった。


そんな爆音テイストなロックに乗せるボーカルラインは、
常に張り裂けんばかりのシャウトぶりで、
俺の喉は、一時ポリープができそうになったほどだ。







「みんなで作る、みんなでアレンジする」


この一見、理想的バンドスタイルには、
「俺」という大きな落とし穴があった。


歌を届けることを二の次にしてしまったことだ。


「歌」「歌詞」「言葉」ではなく、

「音」「サウンド」「曲調」「雰囲気」を重視してしまったことだ。


意図的ではなく、無意識にそうなってしまったのは、
当時の俺の「歌詞」に対する拘りの無さに原因があったと思う。

「歌詞」がどうでもよかったわけではなかった。

ただ、楽曲が最初に作られた段階で、その楽曲に合う「歌詞」を
当時の俺には本心で書き上げる事が出来なかったのだ。

当時も今も、歌いたいことの根底にあるものは、
「愛」についてだ。

むかしからそうだった。

「世の中」や、「若い奴ら」とか、「くそくらえだぜ」とか、
本当に思っていない事柄を歌にしていたから、
届けようとするパワーが、メンバーに負けていたのだ。


アイデンティティの欠落というか、むしろそれに悩む時期が
俺の人生の中では少なすぎたのかも知れない。


「自分を持っていない」という自己嫌悪に陥る日々が続いた。



今考えれば、爆音の中で、「愛」を絶叫していればよかっただけなのかも知れない。



だが、当時の俺にはそれが出来なかった。

それは、同時にメンバーに対して本気で向き合っていなかったという
失礼な行為にもとることができるだろう。

本気で向き合えるほど、「自分」を持っていなかったからだ。




そんな時期に、俺は、

恐ろしいほど「自分」というものを持った女性に出会った。


ワールドカップも間もなく開催されようかという梅雨の頃だった。






そして、俺はその女性に恋をした。




つづく。

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