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豚骨ロック無事に終了!

いやー!昨日の豚骨ロックは最高でした!

来ていただいたみなさん、

共演者のみなさん、

レッドシューズスタッフの皆さん、

そして豚骨ロック運営委員のみなさん、

本当にありがとうございました!


レッドシューズは南青山にあるライブバーです。

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店内はこんな感じ。

とてもおしゃれで、ロックテイストな店内。

昨日も有名な俳優さんがお客さんで見にきてました。

普通に永ちゃんとか呑みにくるらしい。。。


昨日のトップバッターは「アクマティックゴーゴークラブ」
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登場SEと退場SEに「デビルマンのテーマ」を使うなど、
世界観がしっかりとしたロックンロールバンド!

かなり個性のあるいいバンドです。

また対バンしたいなぁ。


そして、2番目にわれわれバンキンガール!

僕らが2番目の時点で、時刻は22時30分!!

すごいイベントでしょう!

みんな朝まで帰らないお客さんで場内は満員御礼!!

豚骨アニキ(司会をしてくれた豚骨中尉さん)のボルテージも
最高潮でした!

僕らも魂のライブをやりきりました!


そして、3番目が、今回のスペシャルゲスト!!

レピッシュのMAGUMIさん!!
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中学時代によく聴いていたあの人が
今目の前で歌ってる!!

やばい!かなりかっこいい!!

MAGUMI節は健在で、さらにロックに磨きがかかった
踊らずにはいられない楽曲!

もう気付けば踊り狂ってました!

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MAGUMIさんもテンションが最高潮に!
カウンターテーブルに上半身裸でのり、
ファンサービス!!

いやー、かっこいい!なんてパワフルなんだ。。


最後を飾ったのが、アコースティックデュオ「CUERVO」
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もはや博多では別格と言われている、元スモーキンブギの
ギターのシマゼンさんのアコースティックギター捌きは
神がかり的!!
ボーカルのハイトーンでコシのある歌声も絶品!

そして、ライブが終わると、
MAGUMIさんがDJを!!

こんな贅沢な夜はまたとないなぁ。


帰り際にMAGUMIさんが一言声をかけてくれました。

「アレンジにもっと波をつけれ。お前より歌のうまいやつは
ゴロゴロおる。その歌のうまさに酔いしれたアレンジば
したらいかんじぇ。がんばれよ!また会おう!」


これはなんとも深いお言葉!!
まさにその一言ですべて見透かされてしまったような感覚になった。

声をかけてもらえたことが何よりうれしかった。


明日は、大塚RED ZONEでライブだ。

レッドシューズ、レッドゾーン、

なんだかレッドが多いなぁ。そういえば、新宿もレッドクロス。

明日はレッドゾーン。山手線大塚駅(マイナーだなぁ)です。
見に来てくれる方は、お間違えのないように。。

あしたも頑張るぜ!!
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ただがむしゃらに走り続けてきた10年Vol.14~Ruby Tuesday~

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とあるステージ設営の会社でアルバイトをしていたときに、

アメリカ出身のバンドマン「Kenny」にであった。

彼のバンドが渋谷でイベントをやるということで、

さっそくメンバーで見に行ったのだ。

そこは、渋谷の道玄坂を少しあがり、

あやしいホテル街の一角にひっそりとたたずむ、

小さな小さなミュージックBARだった。

そのBARこそ、渋谷「RUBY ROOM」だ。

Kennyは兄Owenとバンドをやっていて、ドラムをやっていたが、
ギターと歌が上手なナイスガイだった。

彼に紹介され、初めて渋谷RUBY ROOMの毎週火曜日に行われている
「OPEN MIC」に参加した。

当時はお客さんも、アーティストも、数人しかいなくて、閑散としていた。

当時のバーテンをやっていた「MASA」くんが、
初めてのRUBY ROOMでの演奏直後に、俺たちに酒をおごってくれて、

「絶対また来週もきてください!!めちゃめちゃかっこよかったっす!!」と
絶賛してくれたのだ。

3ピースバンドになり、バンド名も「バンキンガール」に改名し、

ゼロからのスタートをやりたいと思っていた俺たちにとって、

ここ渋谷RUBY ROOMはまさにうってつけの場所だった。


外国人が経営するこの小さなBARには、さまざまなミュージシャンが
演奏する場所を求めてやってくる。

アメリカ、ドイツ、フランス、イギリス、ニュージーランド、オーストラリア、
アイルランド、スウェーデン、、、、、、。

本当に世界各国から日本にやってきた人たちが、
口コミでRUBY ROOMに集まってくるのだ。

お客さんも、演者もほぼ8割が外国人で、
ここは本当に日本なのか??と思ってしまうほどだった。

好き嫌いがはっきりしている外国人のリアクションは、
俺たちにとって新鮮で、やりがいがあった。

言葉の壁。

日本語の歌では伝わらないのではないか。

最初は、やはりそれが心配だったが、

毎週出演していくうちに、徐々にお客さんの心をつかんでいく
自分たちがいた。

ステージなのだ。ライブなのだ。
その激しい動きや、顔の表情、そしてメロディーで、確実にお客さんにつたわるのだ。

俺たちは毎週必ず出演した。

雨の日も台風の日も、必ず毎週火曜日夜10時に出演というスタイルを
やり続けた。そして、会う人会う人に、9曲入りのフリーCDを配りまくった。


3曲15分のステージ。

半年もたたないうちに、火曜日のRUBY ROOMの夜10時は
お客さんで一杯になっていた。

「ワンモア!ワンモア!」とアンコールまでもらえるようになり、
必ず演奏し続けた「本当の気持ち」を、外国人のお客さんたちが
覚えてくれて、一緒に歌ってくれるまでになったのだ。


俺たちはこの現象に酔いしれていた。


この小さな小さなRUBY ROOMの中では、まさに王様気分になっていった。


決まってこの火曜日は、夜10時のライブを終えると、夜更けまで
RUBY ROOMに入り浸っていろんな人とフリージャムセッションを
やったり、音楽の話で盛り上がったりしたものだった。

俺たちの演奏時間くらいに来店し、23時~から必ずサインアップして
演奏するバンドがいた。

そのバンドは、曲を一切決めず、ステージ上ですべてを作り出す、
スーパーセッションバンドだった。

俺たちは、彼らの演奏に毎週釘付けになったものだった。

毎週毎週繰り出される多種多様なサウンドとリフ。3ピースバンドの
そぎ落とされたシャープなグルーブ。
かと思えば、本当に3ピースバンドなのかと思わせるほどの
広がりと壮大な世界観を音で表現することも出来る彼らの演奏は、
毎週楽しみの一つだった。

そのバンドこそ、現在のバンキンガールのギター「Kくん」が率いる
「SHAMANS」だった。

Kくん、音楽ジャーナリストの「U氏」、オーストラリア人の「ジェシー」からなる
この3ピースバンドとの出会いは本当に大きかった。



そして、すべてのアーティストの演奏終了後に始まる、
お決まりのフリージャムセッションでの出来事だった。

俺たちバンキンガールでジャムをやっていたときのこと。

お客さんから「本当の気持ち」が聴きたいとリクエストがあった。

そのときに、Kくんがギターを抱えて、飛び入り参加してきてくれたのだ。

そして、完璧に弾きこなし、コーラスでハモリを入れてくれた。

そのときに、まるでもう一人の自分が歌っているような感覚を覚え、
カラダに電気が通るような衝撃に襲われた。

「この人はすごい」

ギターの腕はさることながら、コーラスの相性がぴったりだったことに
なにより驚いたのだ。

それ以来、病み付きになってしまい、たびたびRUBYのステージ上から
Kくんにアイコンタクトで、飛び入り参加を要請するようになっていった。


2005年、

武者修行としてはじまったRUBY ROOMでの15分のステージ。

2006年に入り、夏を迎えるかというころになると、

武者修行の場から、完全に「居心地のいい場所」になっていた。


このままではいけない。

本当に素敵な場所だけに、

俺はそこに安住してしまうことを恐れた。


そんなころ、バンキンガールの転機となる出来事が。



つづく。
 

ただがむしゃらに走り続けてきた10年Vol.13~トリオでトリオと~

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突然のYOU平の脱退。

「一緒にバンドをやりたいやつがいるんだ。」

理由はそれだけだった。

しかし、no_NAME脱退後、YOU平はその人物とバンドを組むことはなかった。

今思えば、はじめからそのつもりはなかったのだろう。
彼は多くを語らなかったが、一緒に生活をしていた俺には
脱退の本当の理由がなんとなく理解できた。

ここでは述べないことにするが、たしかに言えることは、

YOU平は、誰よりもno_NAMEを愛していたし、
俺たちを大切に思っていたということだ。


2004年9月。

リグレットシェルター企画「鬼嫁vol.2」の出演を最後に
YOU平はno_NAMEを脱退した。

FLOWERMOUNTAIN企画「GOLDENGOLD Vol.2」目前の
出来事だった。


YOU平の脱退後、俺たちは新しいギタリストを探すことはしなかった。

YOU平以外に考えられなかった。

no_NAMEのサウンドは、YOU平が作り上げたと言っても過言ではないくらい、
YOU平の存在は大きかったのだ。

俺とアツシとのりちゃん。

この3人でやっていくことを決意し、
11月の「GOLDENGOLD Vol.2」に向けて、気持ちを切り替えて
練習に励んだ。

初期「バンキンガール」が誕生した瞬間だった。

no_NAMEの後期の楽曲と、新たに作曲した楽曲を中心に
「GOLDENGOLD」に出演し、共演者、お客さんから
高い評価を得ることが出来た。

(大丈夫だ。この3人でも大丈夫だ。)

俺はこのライブで、3ピーススタイルの激しいロックバンドとして
自分たちのカラーを作り上げることを決意した。

当時、俺とFLOWERMOUNTAINは、千葉県の松戸市で
一緒に生活していたのだが、2004年の春くらいからだろうか、
我が家に一人の天才ミュージシャンが居候していた時期があった。

「hang out sleep head on sleepy」のボーカル「洋平」という
人物だった。

彼は、FLOWERMOUNTAINの幼馴染であり、親友であり、
よきライバルでもあった。

体中から音楽があふれ出しているような男だ。
異常なまでの作曲スピードと、キラリと冴え渡るコトバとメロディーを持っていた。

一緒に生活しているときも、一日中彼は歌をつくっては、
自分でレコーディングしてよく俺とFLOWERに聴かせてくれたものだった。

もう現在に至るまで400曲以上作っているのではないだろうか。

まさに天才だった。

そんな彼との3人での共同生活の中で、一つの素敵な作品が出来上がった。

アコースティックコンピレーションアルバム「BABE SONGS」だ。

俺とFLOWERMOUNTAINと洋平の弾き語りのアルバム。

12曲をたった1日でレコーディングし、ミックスダウンしCD化し、
ジャケットをFLOWERMOUNTAINが手がけ、1000枚プレスしたのだ。

そのような音楽生活は、当然バンドにも影響を与え始める。

バンドに初めてバラードが導入されたのもこの時期だった。

名曲(自分で言うと恥ずかしいな)「夏のにおいと」「階段」の完成である。

俺たちは、この「夏のにおいと」を含む無料音源をレコーディング
し、2004年12月に新潟中越地震チャリティーライブを決行した。

地震で被害にあった方たちを、音楽で応援しようという企画だ。


東京のバンド3組「SHRLLOT STAR AND ROCKIN CRY BABIES,
EARTH BOUND(FLOWERMOUNTAINのバンド),no_NAME(3ピース)」
で大型バスをチャーターして新潟県三条市にあるライブハウス「ロケットピンク」
まで出向き、企画ライブ「GOLDENGOLD」での収益金と、
先ほど書いたコンピレーションアルバム「BABE SONGS」の売り上げ金、
そして、当日のドリンク代の一部を義援金として新潟県に寄付した。


新潟県庁の方にも協力してもらい、
新聞にも掲載されるほどのチャリティーイベントになった。


東京の3バンドだけでは、集客面で不安だったので、
地元のバンド2組にも協力してもらい、大成功を収めることができた。


そこで出会ったのが「カマキリ団」「The Big Three」という
3ピースバンドで、音楽的にも人間的にも
大変大きな影響を与えてくれたすばらしいバンドだ。

まさに運命的な出会いだった。


年が明けて2005年の2月。


新潟を共にした3ピースバンド
「SHRLLOT STAR AND ROCKIN CRY BABIES」が企画した
池袋アダムでのライブに出演する1週間前のスタジオでのことだ。


俺は練習時間より1時間前に個人練習でスタジオ入りしていた。

何をするわけでもなく、
ただギターをかき鳴らし、メロディーを口ずさんでいるときに、



出来てしまった。



そうだ。出来てしまったのだ。



今後のバンドの代表曲として世に打ち出せる名曲が。

「本当の気持ち」である。


のりちゃんとアツシがスタジオに来るとすぐに、
俺は出来たての「本当の気持ち」を弾き語りで披露した。


そして、どうしても1週間後の池袋アダムで行われるライブで
この曲を演奏したいと無理を承知で言うと、

のりちゃんもアツシも快諾してくれて、その日のうちに
アレンジも現在と全く変わらない、「本当の気持ち」が
完成された。

そして、2005年2月18日の池袋アダムにて、
初めて演奏されて以来、現在に至るまで、バンキンガールの
代表曲として歌い続けている。

この日のライブでまたすごい3ピースバンドに出会ってしまった。


盟友「トランヂスター」だ。


「トランヂスター」とは、この後、
本当に濃くて深くてすばらしい関係
を築き上げていくことになるのだった。



つづく。

ただがむしゃらに走り続けてきた10年Vol.12~四谷ミラクル~

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100円あったらマックへ行こう。


このキャッチフレーズを聞くと、あの日の自分たちを鮮明に
思い出す。

2004年1月。

怒涛のCD営業の最中、もっぱら俺たちの主食は

80円のマクドナルドのハンバーガーだった。


2003年の11月いっぱいでバイトをやめ、
レコーディングにワンマンライブ。

年が明けてからのCD営業。

その間の収入はほとんどゼロに近い状態だった。


見る見るやせていく俺たち4人。

しかしながら、このCD営業の経験で、たくさんの人に
出会い、たくさんのやさしさに触れ、俺たちは確実に
大きく成長していたと思う。


その間のバンドのスタジオ代や、営業でかかる交通費などの
すべてを、映像会社に負担してもらっていた。

いま思えば、本当に恵まれた環境で、音楽に取り組めていたと思う。

この恩は一生忘れないだろう。


ワンマンライブ以降、俺たちはCD営業と平行して
週3回のスタジオ練習も欠かさなかった。

研ぎ澄まされていくバンドサウンド。

4人が一心同体になって繰り出すグルーヴ。

あとはステージに立つだけだった。




5年前の1月30日。


俺たちは急遽入れた四谷でのライブで素敵な奇跡に遭遇した。



対バンの人たちやそのお客さんたちが
最前列に押しかけて、盛り上がってくれたのだ。


「WOOD SCOCK」「飛蹴」。

この2バンドとの出会いは一生忘れないと思う。


初めて会った見ず知らずのバンドの演奏に、カラダで応えてくれる。

こんな経験は東京に来てから初めてのことだったし、

何より、過酷なCD営業を経て、久しぶりのライブでのその現象に、
俺はこみ上げてくる涙を必死でこらえていたことを覚えている。


「バックボーン」を感じさせた瞬間だったのかもしれない。


その日以来、俺たちが主催したイベントでは、
盛り上がらない日はなかった。

けが人が出るのではないかというくらいの勢いだった。



映像、写真、音楽が融合する、FLOWERMOUNTAIN主催の
伝説のイベント「GOLDEN GOLD Vol.2」を目前に
控えたとある日。





「しんちゃん、俺、no_NAMEやめるわ。」




突然、YOU平が



そうつぶやいた。







つづく。

ただがむしゃらに走り続けてきた10年Vol.11~六本木マジック~

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「ねぇ、ねぇ。」

コンビニの外でパンをかっ食らいながらYOU平が切り出した。

「最強の3文字。。。言っていい???」

「ん?なになに?」

俺、アツシ、のりちゃんはYOU平に注目した。



「か・え・る??」


間といい、YOU平独特の面白いことを言うときの表情といい、
帰るかパンを食うかの選択で後者を選びムシャムシャと
ほおばりながら言い放ったその一言で、

俺たち4人は大爆笑した。


同時にとてもうれしかった。

(そうだよ。帰ろうよ。おうちに帰ろうよ。帰ったっていいんだ。)

「うん!帰ろう!帰ろうぜ!」


俺たち4人はそれぞれ、なんとかして帰路についた。



新宿での営業を終え、そのCDの売り上げのすべてを
映像会社に持っていった。

1000円札の大量の札束。

会社の社長さんをはじめ、スタッフのみんなの驚いた表情。


(どうだ!まいったか!)

心の中でそうつぶやいた。

「今日から六本木に行ってみようと思います。」

六本木で終わらせますよといわんばかりに、
残りのCDをすべて紙袋に詰め込み、
俺たちは夜の六本木へ会社のある赤坂から歩いて向かった。


六本木。


東京タワー、きらめくネオンと行きかう人々。

いわゆる大都会「東京」だ。


目の前に立ちはだかるように聳え立つ東京タワーは、
俺たちをあざ笑うかのように不気味に光っていた。


「さぁ、やるしかねぇな。どこから行く?」

「どこでもいいさ。片っ端から行こうぜ。」


新宿の街で鍛えられた俺たちには、もはや怖いものなどなかった。


一軒一軒ドアをあけ、あの営業スタイルで確実にCDを売っていく俺たち。

やはり温かい人たちばかりで、順調な滑り出しだった。

夜10時から明け方まで。この限られた時間の中で、出来るだけ
たくさんのお店を回るためには、一つのお店に長居は禁物だった。


とあるお店の外国人ホステスさんはすごかった。

「ハーイ。イラッシャーイ。」
「あ、どうも。僕たちは~中略~。」(いつもの営業トーク)
「オッケー!オッケー!ヨ。ホラ、ハインナサイヨー。」

店内に入る俺たち。

「ハイ。スワンナサイヨー。」
「あ、いえ、大丈夫です。」
「イイカラ、スワンナサイヨー。」
満面の笑みで席に座らせようとするホステスさん。

「あ、ありがとうございます。でも、大丈夫です。」

「ホラ。ハイ。ノミナサイヨー。」

水割りセットをもってくるホステスさん。

「あ、あの、呑みに来たわけじゃなくて、、、。」
「ダイジョウブ。ダイジョウブヨー。」
と言いながら水割りを作り出す。

「ホラ。スワンナサイヨー。」
「ホラ。アンタモ、アンタモ。スワンナサイヨー。」

相変わらず満面の笑みだ。

「ああああ、で、で、でも、いや、ほんとに、、、。」

「イイカラ。ス・ワ・ン・ナ・サ・イ・ヨー。」


ホステスさんに手を引っ張られ、店のソファに腰をおろす俺たち。

「ホラ。ハイ。ノミナサイヨー。ノンデイイノヨー。」

水割りを差し出してくれるホステスさん。

「ハイ。コレノンデ、ガンバルノヨー。アンタタチ。」

その力強さとプロ根性。

あのホステスさんの

「スワンナサイヨー。」

は、100人いたら100人確実に座らされる成功率100%の
すごい「スワンナサイヨー」だ。


結局、タダでお酒を飲ませてくれて、オーナーにCDも買うように
言ってくれて、そのあとすぐ帰らせてくれて、
とってもいい人だったんだけど、

座ったら帰れないような恐怖を味わったのは事実で、
久しぶりにちょっと動揺したのを覚えている。


一日目に90枚近く売り上げ、残り200枚を切った。

六本木営業2日目に突入した。

ここまできたら、最後まで売ってやるという意地と、
こんなことをしていて本当にいいのだろうかという思いとが
激しくぶつかる中、ある人物に出会った。

営業も終盤を迎え、あと残り100枚ほどになった頃だったろうか。

あるお店でいつものように営業をさせてもらったときのこと。

「このお店には、業界の人がよくあそびに来てくれるからさぁ。」
「おお。本当ですか!」
「うん。実は、今日も来てくれてるのよ。」
「ほら、あの人。」

と、店長が小声で俺たちに教えてくれる。

「あの奥のソファに座っている人ね、彼ね、レコード会社の人なのよ。」


「おおお!マジっすかー!」

「ちょっと頑張ってみたら!」

店長は、そういうと俺たちを店内に入れてくれて営業をさせてくれた。

いつものようにラジカセで1曲聴いてもらう運びになった。

「ねぇ、ねぇ。せっかくだから歌ってよ。」

店にいた女のお客さんが俺に言ってきた。

「あ、はい!では、歌わさせてもらいますね。」

俺は、ラジカセに合わせて、カラオケマイクで
ライブハウスばりのアクションをつけて歌って見せた。

ある程度お客は盛り上がり、何人かの人がCDを買ってくれて、
丁重にお礼を言って、お店をそろそろ出ようとしたとき、


「はい!no_NAME集合!おら!集合!ちょっと外に出ろ!」


その声は、まさに店の奥のソファに座って一部始終を見ていた
あのレコード会社の人物だった。

心配そうな顔つきで見つめる店長。

「すんません、ちょっとこいつらに話があるんで。」

そういって店の外へ俺たち4人を連れ出すと、


「おい!おまえら。なにやってんだ?」

「あ、あの、CDの営業で、、、あの、1ヶ月で1000枚を、」

「んなこたぁどうでもいいんだよ!なにやってんだよ。おう?」

無言になる俺たち。

「おまえらよう。あんなんで伝わるのかよ。おまえらのやりたいこと
ってちがうだろうがよ。おい!いいからよ!俺に殴りかかっても
いいからよ。殴りたきゃ殴れよ。俺はこういうもんだ。」

そういうと、その人物は俺たち一人一人に名刺を差し出した。

そこには、
大手レコード会社の名前が書いてあった。

「この名刺は本物だし、文句があればいつでも乗り込んできてもいいし、今俺を殴りたきゃ殴ればいい。こんなことやらされてるんだったら
今すぐやめちまえ!お前らロックやってんだろうが。バンドやってんだろうが。
店に入ってきてラジカセ流してそれで歌ってよ。伝わんのかよ。おう?」

「くやしかったら、有名になれよ。そしてもし会うことがあったら
俺をこき使ってもいいし、はなっから相手にしなくてもいいし、
なんでもいいよ。とにかく、違うだろうがよ。」


大分お酒が入っていたかも知れないが、
俺たち4人に対して、たった一人で喧嘩をする覚悟で怒鳴りだした
この人物に、当時の俺たちは腹が煮え繰り返る程の怒りとくやしさ
(そんなことはお前に言われなくてもわかっているよ)という
思いで、ひどく落ち込んでしまった。

同時に、やっぱりライブがしたいという思いが
強くこみ上げてきた。


こんなことは本当はしたくない。
俺たちはライブで魅力を出して本当に気に入ってくれた
人たちにCDを届けたいんだ。
今、買ってくれている人たちのほとんどが、「情」で買ってくれているのだ。
こんなのは、間違っている。
こんな押し売りは、もうやめよう。
1ヶ月で1000枚売れたら、どうなると言うんだ。

どうにもならないだろう。

もうやめだ。

ライブをやるんだ。

今までの何かにとりつかれたような意地と
緊張感がプツリと音を立てて切れた。


その日以来、俺たちはラジカセを持って街を練り歩くことを
やめた。

1ヶ月で1000枚完売という目標達成まであと少しのところで。



そして、強引にすぐにライブが出来るところを探し、
たまたま見つけたライブハウスの掲示板での
出演バンド急募の書き込みに飛びついた。


「ライブを入れたから。5日後だけど。」
「おお。やろう。やろう。」


俺は今でも、六本木で会ったあのレコード会社の人物の
名刺を大切に保管している。
別に連絡してどうこうしようとかは思わないが、
何か大切なことを忘れそうになったときに、その名刺を
たまに眺めるのだ。

そしていつかまた、あの人物に会うことが出来たとき、
「あの時は、あなたのことをクソヤローだと思ったけど、
あなたがいなければ今の僕らはいないですね。
ありがとうございました。」

と言って酒を呑めればいいなと思うのだ。



2004年1月下旬。

強引にブッキングした久しぶりのライブ。


そこで俺たちは奇跡を起こした。


つづく。

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