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ただがむしゃらに走り続けてきた10年Vol.13~トリオでトリオと~

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突然のYOU平の脱退。

「一緒にバンドをやりたいやつがいるんだ。」

理由はそれだけだった。

しかし、no_NAME脱退後、YOU平はその人物とバンドを組むことはなかった。

今思えば、はじめからそのつもりはなかったのだろう。
彼は多くを語らなかったが、一緒に生活をしていた俺には
脱退の本当の理由がなんとなく理解できた。

ここでは述べないことにするが、たしかに言えることは、

YOU平は、誰よりもno_NAMEを愛していたし、
俺たちを大切に思っていたということだ。


2004年9月。

リグレットシェルター企画「鬼嫁vol.2」の出演を最後に
YOU平はno_NAMEを脱退した。

FLOWERMOUNTAIN企画「GOLDENGOLD Vol.2」目前の
出来事だった。


YOU平の脱退後、俺たちは新しいギタリストを探すことはしなかった。

YOU平以外に考えられなかった。

no_NAMEのサウンドは、YOU平が作り上げたと言っても過言ではないくらい、
YOU平の存在は大きかったのだ。

俺とアツシとのりちゃん。

この3人でやっていくことを決意し、
11月の「GOLDENGOLD Vol.2」に向けて、気持ちを切り替えて
練習に励んだ。

初期「バンキンガール」が誕生した瞬間だった。

no_NAMEの後期の楽曲と、新たに作曲した楽曲を中心に
「GOLDENGOLD」に出演し、共演者、お客さんから
高い評価を得ることが出来た。

(大丈夫だ。この3人でも大丈夫だ。)

俺はこのライブで、3ピーススタイルの激しいロックバンドとして
自分たちのカラーを作り上げることを決意した。

当時、俺とFLOWERMOUNTAINは、千葉県の松戸市で
一緒に生活していたのだが、2004年の春くらいからだろうか、
我が家に一人の天才ミュージシャンが居候していた時期があった。

「hang out sleep head on sleepy」のボーカル「洋平」という
人物だった。

彼は、FLOWERMOUNTAINの幼馴染であり、親友であり、
よきライバルでもあった。

体中から音楽があふれ出しているような男だ。
異常なまでの作曲スピードと、キラリと冴え渡るコトバとメロディーを持っていた。

一緒に生活しているときも、一日中彼は歌をつくっては、
自分でレコーディングしてよく俺とFLOWERに聴かせてくれたものだった。

もう現在に至るまで400曲以上作っているのではないだろうか。

まさに天才だった。

そんな彼との3人での共同生活の中で、一つの素敵な作品が出来上がった。

アコースティックコンピレーションアルバム「BABE SONGS」だ。

俺とFLOWERMOUNTAINと洋平の弾き語りのアルバム。

12曲をたった1日でレコーディングし、ミックスダウンしCD化し、
ジャケットをFLOWERMOUNTAINが手がけ、1000枚プレスしたのだ。

そのような音楽生活は、当然バンドにも影響を与え始める。

バンドに初めてバラードが導入されたのもこの時期だった。

名曲(自分で言うと恥ずかしいな)「夏のにおいと」「階段」の完成である。

俺たちは、この「夏のにおいと」を含む無料音源をレコーディング
し、2004年12月に新潟中越地震チャリティーライブを決行した。

地震で被害にあった方たちを、音楽で応援しようという企画だ。


東京のバンド3組「SHRLLOT STAR AND ROCKIN CRY BABIES,
EARTH BOUND(FLOWERMOUNTAINのバンド),no_NAME(3ピース)」
で大型バスをチャーターして新潟県三条市にあるライブハウス「ロケットピンク」
まで出向き、企画ライブ「GOLDENGOLD」での収益金と、
先ほど書いたコンピレーションアルバム「BABE SONGS」の売り上げ金、
そして、当日のドリンク代の一部を義援金として新潟県に寄付した。


新潟県庁の方にも協力してもらい、
新聞にも掲載されるほどのチャリティーイベントになった。


東京の3バンドだけでは、集客面で不安だったので、
地元のバンド2組にも協力してもらい、大成功を収めることができた。


そこで出会ったのが「カマキリ団」「The Big Three」という
3ピースバンドで、音楽的にも人間的にも
大変大きな影響を与えてくれたすばらしいバンドだ。

まさに運命的な出会いだった。


年が明けて2005年の2月。


新潟を共にした3ピースバンド
「SHRLLOT STAR AND ROCKIN CRY BABIES」が企画した
池袋アダムでのライブに出演する1週間前のスタジオでのことだ。


俺は練習時間より1時間前に個人練習でスタジオ入りしていた。

何をするわけでもなく、
ただギターをかき鳴らし、メロディーを口ずさんでいるときに、



出来てしまった。



そうだ。出来てしまったのだ。



今後のバンドの代表曲として世に打ち出せる名曲が。

「本当の気持ち」である。


のりちゃんとアツシがスタジオに来るとすぐに、
俺は出来たての「本当の気持ち」を弾き語りで披露した。


そして、どうしても1週間後の池袋アダムで行われるライブで
この曲を演奏したいと無理を承知で言うと、

のりちゃんもアツシも快諾してくれて、その日のうちに
アレンジも現在と全く変わらない、「本当の気持ち」が
完成された。

そして、2005年2月18日の池袋アダムにて、
初めて演奏されて以来、現在に至るまで、バンキンガールの
代表曲として歌い続けている。

この日のライブでまたすごい3ピースバンドに出会ってしまった。


盟友「トランヂスター」だ。


「トランヂスター」とは、この後、
本当に濃くて深くてすばらしい関係
を築き上げていくことになるのだった。



つづく。
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