

「俺たちちょっと、気合入れすぎたな。」
「ああ。」
二人して、金髪に革ジャンで挑んだ今回の面接。
「だって、ジャージだぞ!
高校の体育の授業で着るようなジャージだったぞ!」
「うん。」
「しかも、昼真っから酒呑んでたぞ!」
「呑んでたな。」
「大丈夫かな?」
「大丈夫だ。きっと大丈夫だ。」
「とりあえず、スタジオが楽しみだな。」
「ああ。」
「ロックしか叩きたくない」という男と、新宿で会ったあと、
俺とYOU平は、そんな会話をしながら大塚の自宅へと帰った。
(とりあえず、スタジオですべてがわかる)
数日後、俺たちはスタジオに向かった。
アツシが俺とYOU平に聞いてくる。
「どうだった?どんな人だった?」
「そうだねぇ。緑のジャージを着てたかな。。」
「なにそれ。それだけ?」
「あと、いきなり酒のみはじめた。」
「、、、、、、、、、、。」
スタジオに着くと、すでに緑のジャージの男は、
やはり、緑のジャージを身にまとってスタジオ入りしていた。
「ほんとだ。」
「初めまして。高橋です。」
この男こそ、2002年no_NAMEの後期から
2007年バンキンガール前期まで
ドラムを務めることになる、
「のりちゃん」こと、
「高橋憲史(タカハシ ノリフミ)」であった。
彼の最初のドラムの印象は、非常に丁寧に
基本に忠実に叩くタイプのドラマーで、
特にスネアのリムショットの力強さに
いわゆる「ロック」を感じさせられた。
これまでのY氏とは全くタイプの違うドラマーで、
テクニックよりは、パワーとリズムキープに重点をおき、
アドリブなどはやらず、決めたことをきっちりと
こなす職人肌のドラマーだった。
「セックス・ピストルズ」や「ラモーンズ」をこよなく愛し、
そして、「レッド・ツェッペリン」のドラマー「ジョン・ボーナム」
を崇拝する、なかなか筋金入りの「ロッカー」だった。
俺は、なんだか不思議と初心に戻った気分になり、
この男と俺たちで、新しい音楽をつくっていこうと
心に誓った。
「高橋憲史」(のりちゃん)29歳と11ヶ月。
30歳を目前にして、彼はno_NAMEに加入した。
のりちゃん加入後すぐに、ライブ活動が始まる。
月に1本~2本のブッキングライブ。
週に2回のスタジオ練習。
練習後の大塚のマンションでのバンドミーティング。
スタジオ録音をみんなで聴いて、アレンジを考える日々。
俺とYOU平の共同生活も順調。
すべてが順調に思えた。
が、
そんな生活を繰り返していくうちに、知らず知らずの間に
俺たちは、「ちゃんとやっている」という充実感に安心し、
いつの間にか聴き手のことよりも、自分たちの気持ちよさ
を重視し、楽曲のアレンジにとりつかれていくことになる。
毎回ライブの度に、同じ曲のアレンジが変わっているのだ。
ときには、全く違う曲に聴こえるほど変わることもあった。
毎回スタジオの度に、よくアレンジを持ってきたのは、
YOU平だった。
俺たちは、「とりあえず試す」という暗黙のルールのもと、
YOU平の考えてきたアレンジを幾度となく練習で試した。
1曲のある部分だけを繰り返し繰り返し
やって、3時間のスタジオが終わることもよくあった。
YOU平は、俺と住み始めてから、狂ったようにありとあらゆる
CDを借りてきては、一日中聴いていた。
そして朝までギターをかき鳴らした。
毎日朝までギターをかき鳴らした。
すべてはバンドのために。
バンドの曲のアレンジに活かすために。
上京してくるまで、彼はビジュアル系という狭い枠の中に
身をゆだねてきたのだ。
東京で、俺やY氏といったいわば真逆の音楽人と出会い影響をうけ、
自分の音楽に対する考え方や、
本当にやりたいことを必死で模索していたのだろう。
そんな中、彼は出会ってしまった。
彼をどっぷりと「ロック」の道へと誘ったアーティストに。
27歳でこの世を去った若き天才。
グランジというジャンルを築き上げたモンスターバンド
「ニルヴァーナ」のギターボーカル。
「カート・コバーン」に。
つづく。