

東京。
1999年5月、期待と不安を胸にこの地に足を踏み入れた23歳の俺。
右も左もわからぬまま、ただ一人路上でギターをかき鳴らしていた俺に、
また一緒にロックバンドをやろうと誘ってくれたY氏。
思えばY氏とは、14歳からずっと一緒にバンドをやってきた仲だ。
初めて握ったエレキギター、初めて入った音楽スタジオ。
初めて大音量でギターをかき鳴らした時の爽快感。
そんなどのシーンにも、ずっと当たり前のようにそこにいてくれたY氏。
14歳の頃からずっと、俺の背中には、Y氏のビートが刻まれてきたのだ。
2001年12月。
「ウッチマン。俺、バンド辞めようと思う。
今度の福岡の凱旋ライブで最後にしようと思うんだ。」
思いを打ち明けてくれたY氏の表情には、
いつものはにかんだ笑みはなく、真剣そのものだった。
瞬時に俺は、その裏側で悩みに悩んで結論を出した男の
その決意の重さを汲み取った。
「そうか。わかったよ。今までありがとう。」
正直、考え直してほしい気持ちはあったし、
これからもなんとかうまく方法をさがしてやっていけるんじゃ
ないかとも思ったが、当然、同じことをY氏もさんざん考えた
結果、吐き出した結論だ。
それは、俺にY氏からの言葉では言い表せない、
強烈なエールにも感じられた。
(徹底的にやれよ。)
ボーカルギターとしてのゼロからのスタート。
19歳でビジュアル系ロックバンドからの転身、
あたらしい自分を探す、いわばゼロからのスタート。
俺とアツシとYOU平のそんなゼロからのスタートを
Y氏と共にやってこれたことに、心から感謝している。
音楽的にも、人間的にも、本当に優れたアーティストだ。
今現在もこうやって音楽をやっているのも、
Y氏がいなければ考えられない。
本当にありがとう。
2001年12月31日。
福岡ハートビートで行われたカウントダウンライブを
最後に、Y氏はno_NAMEを脱退した。
それから、俺たちはバンド活動をとめてはいけないと、
3人でもライブをやりまくっていこうと、固く誓い、
新年そうそうから、ライブのブッキングを入れ始めた。
そんな時期、俺のバイト先の同僚から耳寄りな情報を得ることができた。
「僕の前のバイト先の先輩で、ロックしかやりたくないっていってる
ドラマーさんがいますよ。」
「ロックしかやりたくない」
なんだかこの言葉にグッときた俺は、すぐさま連絡先をきいて、
その男に連絡した。
「もしもし?Tさんですか?」
「はい。」
「突然、すみません。○○くんから紹介してもらって、
連絡させていただきました。」
「あぁ~、はいはい。」
「今現在、バンドやってます?」
「いや、やってないよ。」
「よかったら一度お会いできませんか??」
「そうだね。その前に、バンドの音源あったら送ってほしいんですけど。」
「ええ、いいですけど、とりあえずお会いできません?」
「うーん。音源送ってほしいなぁ。。」
(これはちょっと軽くあしらわれている気がするな。負けないぞ。)
「いや、とりあえず、会いましょうよ。お願いします。」
「うーん。」
「あって話をしましょう。音源もそのときもって行きますから。」
「うーん。そうだねぇ。うーん。」
「新宿でどうですか?」
「新宿かぁ。うーん。いいけど。」
「よし!じゃあ、早いほうがいいですから、あさってとかどうですか?」
「うーん。わかった。新宿で会いましょう。」
勝った!
と俺は思った。とにかく俺はしつこいのだ。
音源だけ送って俺の思いが伝わるわけないのだ。
会って話しをしないと絶対にだめなんだ。
俺は、その「ロックしか叩きたくない」という頑固そうな
男に会うために、YOU平と二人で新宿に向かった。
もちろんロックの制服「ライダース」の革ジャンを身にまとって。
新宿アルタ前で待っていたその男は、
ジーンズに、緑色に黄色のラインが入ったジャージを羽織っていて、
なんだか拍子抜けした記憶がある。
とりあえず、近くの喫茶店に入った俺たち3人。
「とりあえずビールね。」
その男は、いきなりビールを飲み始めた。
「呑まないの?」
「ええ、まだ、早いかと、、、。」
ひとしきりどんな音楽がやりたいか、
九州から上京してきたことなどを話すと、
「お!九州!?」
「ええ、福岡です。」
「俺、宮崎!いいねぇ!」
勝った!
食いついてきた!
もうここまでくれば、ほぼ8割大丈夫だ。
俺とYOU平は、持ってきた音源をCDウォークマンで
男に聴かせた。
一通り聴いたあと、男はこう言った。
「ぜひ、よろしくお願いします。」
つづく。