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ただがむしゃらに走り続けてきた10年Vol.2~アツシの回~

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西暦2000年を迎えようと、世の中があわただしくも
何か新しいことが始まるのではと胸を躍らせていた頃、

俺達4人は出会った。


若干19歳の青年の名は「小俣敦」。

育ってきた環境も、聴いてきた音楽も全く違う。

街で会ったら間違いなく道を譲ってしまうであろう
彼のその風貌とは裏腹に

スタジオで奏でる彼のベースの音には、俺とY氏の心を揺さぶる
ロック魂と温かなやさしさが共存していた。

どんな音楽をやってきたの?


俺とY氏の質問に、

彼はこう答えた。

「ビジュアル系っす。」

「ええ!?マジで~!」

「はい。」

「全然想像つかない!じゃあ、化粧とかしてたわけ??」

「バリバリっす。紫の口紅とか塗ってました。」

意外だった。


音楽の好みは自由だし、別にビジュアル系を否定する気も
さらさらなかったが、
間違いなく俺とY氏は通ってこなかったジャンルだった。

それだけに、彼の奏でるベースラインは独特に聞こえたし、
何よりも音の太さに驚かされたのだ。

五臓六腑に響き渡るといった感じか。

だが、不思議とうるさく感じさせない、先にも述べた
「温かさ」が宿っていた。


俺とY氏とS鳥とアツシ。

4人は、ひとしきり音を出し合って意気投合し、4人でバンドを
やろうという結論に達し、新宿を後にした。


この4人のバンドは、一番年上で、音楽的にもキャリアが
あるように思えた「S鳥」がリーダーとなり、
バンド名を「アンドルーズ」に決め、活動を始めることになる。

俺が昔から書きためた曲や、S鳥の完璧に自分の中でイメージが
完成された楽曲を中心に、バンド活動が始まるわけだが、

早くも、俺とY氏はストレスを感じ始めることになる。

すべてがS鳥のイメージに沿うように作られていったからだった。

S鳥氏(呼び捨てはどうかと今思った。。)は人間的にも音楽的にも
よい人だったが、いかんせん俺とY氏の理想のバンド象とはかけ離れた
存在だった。

そう。

みんなで作りたかったのだ。

S鳥氏は、アツシのベースラインもすべて指示し、ドラムやボーカルラインに至るまで、すべてをプロデュースした。

そうなのだ。

バンドマンというよりは、「プロデューサー」だったのだ。


当然長続きはしなかった。

約1~2か月足らずで、「アンドルーズ」は1度もライブをすることなく
解散した。


解散にあたり、アツシはまた一人でやり直すといって去っていこうとした。


しかし、俺は
(この男だけは絶対に手放してはいけない。この男はぜったいに必要な人物だ。)と感じ、
解散後もしつこくアツシに電話でプロポーズをしたのだ。

「小俣くんさぁ、スタジオ練習だけでもいいからさぁ。」

「いやー、別のバンド探します。もう少し重たい感じのロックやりたいんすよねぇ。」

「重たいやつもやろうよ!!とりあえず、次のメンバーが見つかるまでの間だけでもいいからさぁ。スタジオだけでも一緒に入ろうよ。」

このやり取りを数週間、毎日つづけたのだ。

そう。

俺はしつこいのだ。


この俺のあまりのしつこさに、とうとう根をあげたのか、
ついに彼はこう言った。


「じゃあ、とりあえずスタジオってことで。」


それ以来10年間の付き合いだ。

正式にこの日からメンバーね。
みたいなことはなかったから、ひょっとして今現在もサポートの
つもりだったりして。。。(笑)


アンドルーズ解散後、

俺とY氏とアツシの3ピースバンドでしばらくスタジオワーク
を始めることとなった。

幾度もスタジオを共にしていくことで、
だんだんと意気投合していった。

何よりもきっと楽しかったのだろう。

すべてがフリージャムセッションで、のちの楽曲につながる
元ネタがたくさん作られていった。

俺達のスタイルは自由だった。

フリースタイルという言葉が、いつしか俺達の合言葉になっていった。

3人の間で様々な音楽のやり取りが行われていく。

アツシにアシッドジャズや、フュージョン、ファンク、
ソウルといったジャンルを
聴かせたりして、たがいに音楽の幅を広げていった。

特にY氏の音楽に対する幅の広さと、センスはずば抜けていた。

Y氏の持ってくる音楽はかならず後に大ブレークするアーティストが
多かった。
Y氏は先を読む野生の勘みたいなものを持っていたのだろう。

実際、「ジャミロクワイ」に至っては、ブレークする5年も6年も前に、
Y氏から勧められて聴いていた。


この3人のバンドは、Y氏のドラムがずば抜けてレベルが高く、
俺とアツシがY氏に引っ張られて成り立っていた。

Y氏のドラムに関しては、当然、地元九州時代から共にやってきたから
俺とY氏の中では阿吽の呼吸的コンビネーションが知らずに存在して
いたのだろう。

そんなとき、アツシがこう言ってきた。


「実は、俺と昔地元で一緒にバンドやってたギタリストで、
一緒に上京してきたやつがいるんですけど、今度スタジオに
連れてきてもいいっすか??」

当然、俺とY氏は快諾した。

「連れてきなよ!!面白そう!」


その男こそ、バンキンガールの母体となったバンド
「no_NAME」の名づけ親でもあり、数々の名曲を作り出した
天才「YOU平」であった。

「カプリシャス」
「KEEP ROLLING」
「少年少女の言えない事情」
「サイキックビリー」
「BURNING」

no_NAME時代、オーディエンスを圧倒した、他に聴いたことのないような
全く新しいロックサウンドを作り出した男だ。

YOU平と俺は後に一緒に暮らすことになるのだが、
その話はまた次回ということで。



また次回をお楽しみに。
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