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ただがむしゃらに走り続けてきた10年Vol.1~上京&出会い~

ミクシィでの連載が、ちょっとだけ好評みたいなので、
公式HPにも連載させていただきます。



10年前のウッチマン
            10年後のウッチマン


10年前。

ギター1本と野望を抱え、若干23才の青年は東京を目指した。

自分に出来ないものは何もない。

根拠のない自信。

若いときはそれでいい。



23歳の青年は、生まれて初めての一人暮らしをはじめた。

風呂なしのおんぼろアパート。

家賃は3万7千円。

上野から宇都宮高崎線で一駅の「尾久」という町で
東京暮らしが始まった。

隣のオヤジの缶ビールを開ける「プシュ!」という音が、

鮮明に聞こえてくるペラペラの壁。

アンプにつなげていないエレキギターをかき鳴らせば、
「ごつん!」と隣から壁越しに拳が飛んでくる。

上の階の住人は、銭湯で一度も顔を会わせる事はなかった。

流し台で身体を洗っていたのだ。

「ばしゃーん!ジョボボボボッボ!」

上の階から永遠と聞こえてくる大量の水を流す音。

とても眠りにつける状況ではなかった。

それが2年間も続く。

しかも、上の階の住人は、夜中に向かいの一軒家に向かってぶつぶつと、

「何が新婚だバカヤロー」と永遠と愚痴をこぼしていた。

そう。

頭がおかしいのだ。


23歳の青年は、自分のこの部屋を気に入ってはいたものの、

上の住人や隣のおやじの生活音に頭が狂いそうになり、

ただ寝るためだけに帰宅するようになっていった。



青年の朝は早かった。

毎朝6時に起床し、6時半には職場についていた。

下町にある大衆レストラン。

青年はそこの厨房で毎日朝6時半から夕方4時まで働いた。

4時に仕事を終えると、決まって青年は銭湯に向かう。

そこで心と身体をリセットするのだ。

そしてアコースティックギターを抱え、夜の池袋や新宿に出かける。

そう。

ストリートライブだ。

部屋に閉じこもっていても、何も始まらない。
チャンスは自分でつかむのだ。

青年は、東京にきてからの数ヶ月で、
たくさんの曲を作った。

練習もかねて、路上で歌った。

初めて路上をやったのが、新宿の歌舞伎町のど真ん中だった。

世間知らず、怖いもの知らずの青年は、初めての東京でのストリート
ライブでどん底に叩き落された。

やくざまがいのチンピラに、歌ってる最中に譜面台をなぎ倒され、つばをはかれ、「邪魔だぞバカヤロー」

たしかそんなことを言われたのだ。

しかし、悪いことはそれっきりで、後はいい経験をすることになる。


そんな頃、青年が上京したことを聞いた、彼の同級生「Y」から連絡が入る。

Y氏とは九州で一緒に音楽活動をしていた仲だ。

それよりも、中学からの親友といったほうがよいだろう。

「ウッチマン!東京に音楽しにきたっちゃろ??」

Y氏は興奮気味にそう聞いてきた。

そう。


青年とはもちろん、この私「ウッチマン」であります。

ここからは「俺」と書くことにする。


俺は「そうなんよ!音楽をするためにこっちに来たよ!」

とY氏に答えた。

「もしよかったら、一緒にバンドやらん??」
Y氏は俺にこう持ちかけてきた。

もちろん俺は快く快諾した。
なによりもうれしかったし、心強かったのだ。


Y氏は、俺よりも先に就職で東京に来ていた。

当時九州で一緒にバンドをやっていたものの、

Y氏の東京での就職で、九州で組んでいたバンドは、ほぼ「解散」という状態になっていた。

俺はそのバンドでは、「ギタリスト」であって、「ボーカリスト」ではなかった。

当時から「歌いたい」という欲求はあった。

どうせゼロからはじめるなら、いっそ東京ではじめよう。

大学を卒業できるか出来ないかといった状況の中、
俺の進路は、もう「東京で音楽」という方向で固まっていたのだ。

両親にその旨を伝えると、

「大学だけは卒業しなさい。卒業できなかったら行かせない。」

たしかそんな風に言われた気がする。

大学4年の時点で、卒業するために必要な単位が45単位残っていた。

俺は、大学4年になって初めて、毎日学校に通い、授業を受け、
勉強し、55単位履修して55単位きっちりとって、なんとか
大学を卒業したのだ。

今思えば、本当に親不孝者だ。

高い授業料を払ってもらって、遊びほうけて、
挙句の果てに「東京に音楽しにいく!」

こんな馬鹿な話があるか。

親からすれば、「おいおいおいおい!ふざけんなよ。」だ。

「2年間だけ時間をください」

俺は両親にこう告げ、上京したのだ。



俺とY氏は東京でのバンドを組むにあたり、メンバー募集を始めた。

俺がボーカルギター、Y氏がドラム。

後はベーシストだ。

音楽スタジオや楽器屋さん、ありとあらゆるところにメンバー募集の
張り紙をして、連絡を待った。


メンバー募集をして数週間たったある日、

俺の携帯に見知らぬ番号から着信が入ってきた。

「もしもし?」

「あ、内山さんですか?」

「そうです」

「僕はS鳥といいます。ギターやってます。メンバー募集を見て
お電話させていただきました。」

「はい。」

「僕はいま、ベーシストと一緒にメンバーを探しているんです。
内山君はベース募集ですよね?もし3ピースバンドにこだわって
いなかったら、ちょっと会ってお話できませんか?」

もちろん俺は快諾し、新宿でそのS鳥とベーシストと会うことになった。

話をしているうちに、意気投合し、スタジオに入ることになった。

俺とY氏とS鳥とベーシスト。

初めて顔をあわせ、スタジオに入る。

いい感じだった。

俺もY氏も、S鳥よりは、その連れのベーシストに興味を持った。

そのベーシストこそ、バンキンガールの「アツシ」である。



つづく。
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