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卒業にまつわるエトセトラ

Kです。

3月末ですね。
ちらほら桜が咲き始めましたね。
3月末といえば、卒業シーズン。
今まで慣れ親しんだ環境、生活のリズムや人間関係に別れを告げて、新たな見知らぬ世界に飛び込んでいく季節。
人生の大きな節目。

昔、「あと何度 自分自身 卒業すれば、本当の自分に辿り着けるだろう」と歌った詩人がいましたね。3月に象徴される「卒業」だけれども、実際は学校だけじゃなくて、色々な卒業がある。

例えば、部活の引退。
例えば、退職。
例えば、引っ越し。
例えば、独身生活からの卒業。結婚生活からの卒業。
例えば、付き合っていた人との別れ。はたまた、死別。

体にしみこんだ部屋の空気、当たり前に思えた時の流れ、慣れ親しんだもろもろの阿吽。そんな自分を包み込む半径2mほどの「繋がり」と決別する。過去のものにしてしまう。望むと望まざると。切り離す時。

当然、心には大きな圧力がかかるよね。様々な悲喜こもごもで感情も高まるし。「卒業」独特の不可思議な時間の流れがある気がする。色んなドラマが生まれる舞台でもある。サヨウナラの儀式。

だけど、自分自身を振り返ってみるとこれまで経験してきた「卒業」イベント、そしてその前後の記憶が不思議なくらい欠落していることが多い。あれこれ思い出そうとしても、思い出が出てこない。まるでそんなことは何もなかったかのように真っ白。Ctrl + X。

巧妙に記憶がふたをしてしまっているようだ。
引き出しの中にしまいこんだ記憶は鍵がかけられ、引き出しのありかさえ分からない。本来は山や谷があるはずのところが平たんな一本道になっている。ナニモ オコラナカッタンダヨ。

抑圧。

思い返せば、そういう時に僕はいつも努めて平常心をよそおっていた気がする。いつもと同じさ。へっちゃら。事務的に処理をしよう。右の山を左に移すだけ。淡々と昨日の明日を過ごすだけ。そうやって、グラグラ不安定な心を両手で支えながら、決して取り乱さぬように、涙など見せないように押し殺していたんじゃないか。

小さい頃はすぐに涙ぐんでしまう子供だった。先生にちょっと怒られただけでポロポロ涙を流し、ヒックヒック止まらないことが更に涙を呼んでいた。

「男なんだからいつまでも女みたいに泣くんじゃないよ。だらしないねぇ。」

いつから涙を我慢すること、高まる感情を殺す術を覚えたんだろうか?

困ったことに、蓋をされた感情はいつまでも心のなかでブスブスと燻っているようだ。暴れるはずだった力は出口がないままにドロドロと対流している。あの時に大声で泣ければ簡単だったのに。嫌だ嫌だと駄々をこねられればよかったのに。充血した心の粘膜を外側に裏返して、誰かにさらけ出せば良かったのか?

大昔に心に取り付けたリミッターは既に組織に癒着してしまったようだ。
だけど、どこかで奥底のナミダを昇華させないとダムは決壊するだろう。


僕が音楽をする理由。
僕に音楽が必要な意味。
そんなところにある気がする。


卒業おめでとう、ありがとう、さようなら。
またね。

僕は今日も元気です。

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